- 2023.07.04
- スタッフ留学日記
カナダ高校留学の卒業式第二弾・・・子にとっても、親にとっても、特別な瞬間
2023年6月16日(金)、ヴァーノン教育委員会に所属するカラマルカ高校(Kalamalka Secondary School)の卒業式に参列してきました。
前回は「カナダの高校の卒業の流れ」についてお話ししましたが、今回は感情的な部分をシェアさせてください。
■卒業式に参列という機会
そもそも子供がカナダ高校留学をしていなければ、卒業式に参列するという機会は得られません。息子が旅立った3年前、この日を夢見ていたのですが、このような日を迎えられないかもしれないと不安に思った日も何度もありました。
この機会を得られた幸せを嚙みしめる、そんな瞬間になりました。
■山あり谷あり
3年間を振り返ってみると、本当に山あり谷ありでした。
絶好調で「楽しい」と言っているときもあれば、画面の向こうで「もうダメだ」と泣き崩れたときもありました。
高校留学のサポートを多くさせて頂いていますと、最初から最後まで順風満帆な方の方が少ないです。ぶつかる壁はそれぞれですが、誰もが壁を乗り越え、自分の強さと弱さを知り、周囲の存在のありがたさを感じ、乗り越えられる自分の可能性に自信を得て、小さな小さな成長を積み重ねていきます。
近くではなく遠くから見守って来て「体の距離は離れているが、心の距離が近くなったと感じた3年間」が、まるで走馬灯のように脳裏によみがえってくる感覚でした。
その過程を経てたどり着いた卒業式は、家族以上に本人には喜びもひとしおなのではないかと思います(と思っていたのですが、本人たちはかなりあっけらかんとしていましたが!笑)
■共に学んだ学友との写真撮影
インフォーマル・フレンドシップ・フォトという、共に学んだ学友や家族、先輩や後輩などと共に写真を撮りまくる時間がありました。(場所はPolson Parkという緑豊かな公園)卒業生たちはきらびやかなスーツ姿(男の子)やドレス(女の子)に身を包み、目に入った仲間と次々と「おうっ、写真撮ろうぜ」みたいな感じで肩を組んで写真を撮りまくっていました。
親はもちろん後ろを黙ってついて行くだけです(笑)
息子は親友でウクライナ人のアートムと二人でずっとあちこちを歩き回っていました。
息子から声をかける場面、向こうから声をかけられる場面、色々でしたが、たくさんの仲間に出会ったんだな~と親は勝手にしみじみ感傷的になってしまっていました!
僕達が直接目に見えないところで、出会い、深めてきた人々との関りを目の当たりにできるのはとても素晴らしい機会でした!
■卒業式開始前
卒業式会場に到着する前から、素晴らしい式になる予感がしていました。前日にはエイブリーから「卒業式に行くね」と言ってもらって追えり、ウィリアムからは「仕事後に直接行くから、座席を確保してほしい」とお願いされていました。
息子が壇上のどこに座るかは聞いていたので、できる限りのベストポジションを確保することができました。
卒業式開始直前、まずウィリアムが、そして本当にギリギリにエイブリーが滑り込みで会場に到着し、左からエイブリー、僕、ウィリアム、妻、妹たちという順番で並びました。
場所を確保してから少ししてトイレに行くと、偶然卒業生の控室の前を通りかかり、扉の前で息子が仲間と談笑していました。知った顔と知らない顔がありましたが、リラックスした表情を見ることができました。控室に僕がズカズカと入り込んでいくと「俺のお父さんだよ」と仲間に紹介してくれて、写真を撮らせてくれました!
■まずは入場&整列&開始
時間ちょうどになると、MCの方が「卒業生の入場です」という号令と同時に卒業生が中央から入場してきました。この時、会場全員が立ち上がるので、入場してくる卒業生の姿はほぼ見えませんでした(右側に陣取っていたので)
壇上に並んだ卒業生の姿を前にすると、自然と胸が熱くなりました。息子は他の生徒と並ぶとひときわ小さいですが、撮影会のときと同様に出会って関わってきた人の数だけ苦労と喜びがあったことに想いを馳せました。
壇上に立った息子に向かって左腕を高々とあげました。すると息子はこちらの存在を見つけ、左腕をあげてくれました!
MCの簡単な自己紹介後、「今から2023年度卒業式を開始します」と宣言し、卒業式が始まります。
■国歌斉唱
カナダの国家は「オーカナダ」と言います。非常にシンプルな歌なのですが、恥ずかしながらカナダに25年以上も関わっているのに覚えていませんでした。ここでは国歌斉唱は諦め、胸を張って卒業生の姿を眺めることに専念しました。
ウィリアムが僕の分も歌ってくれた感じがしました!
■来賓のスピーチ
3~4人ほどのスピーチがありました。
2人目の方はいわゆる「先住民」の代表の方で、聞いたことのない言葉でのスピーチでした。最後は校長先生のスピーチでした。
正直、マイクを通してなのと、ざわつく会場、そして何より僕の英語力の問題もあり、全てを理解することはできませんでした。
■いよいよ卒業証書授与
ファミリーネームがAの生徒から順番に呼ばれます。
・名前を呼ばれる
・校長先生から卒業証書を授与される
・校長先生と卒業証書を抱えて記念撮影(プロのカメラマン)
・奨学金を得ている生徒は奨学金の目録を授与
・生徒の紹介(15~30秒)
・元の列に戻る
という流れです。
これが約150人分続きます。
■叫ぶ
生徒のフルネームが呼ばれると「大歓声」が会場のあちこちで挙がります。「ヒューーーーー」「フーーーーーー」という声が大きければ大きいほど、その生徒の人気や人脈、充実した高校生活が感じられました。
逆に非常に静かで歓声が上がらない生徒もあり、どうしても寂しさを感じてしまいました。
息子はKですが、その前にウクライナ人のアートム、アルメニア人のダニエルの順番が巡ってきます。この2名が息子の親友であることは分かっていたので、彼らの名前が呼ばれた瞬間、僕は大声で「フーーーーーーーーー」と叫び、彼らの卒業を祝福しました!
これがカナダの卒業式の風習だと知り、息子の順番では家族で大声を出そうと話しました。
■いよいよ
息子の名前がいよいよ呼ばれる番になりました。
家族以外に叫ぶ人がなくても、家族&エイブリー&ウィリアムで大声で盛り上げようと思っていましたが、そんな心配は不要でした。
会場にはサッカー仲間のドノバンとカルロス、そしてサッカープログラムの同輩や、学校の後輩達が大声を張り上げて祝福してくれました!
息子はドノバンが来てくれることを知っていたようです。ドノバンとは僕達同様にアイコンタクトをしていたと後に語っていました。
壇上で息子はひときわ大きな声で叫ぶ僕達の方をはにかんだ表情で観て、そして正面を向いて写真撮影に臨んでいました。
彼の想像より大きな声が会場から出たことは嬉しかったそうです。でもきっと彼以上に「これだけの人が声をあげてくれること」に感動したのは僕達親だったと思います。
■わずか30秒
彼が壇上で主役を飾れるのはわずか30秒ほど。それ以外は大多数の一人です。
でもこの瞬間をその場で共有できたことは今後忘れることはないでしょう。誇らしい気持ちがこみ上げてきて、3年間の喜怒哀楽が30秒に凝縮されているように感じました。(う~~~ん、親って勝手に感傷的になるもんなんでしょうか・・・)
■2時間半
式の中盤に息子の名前が呼ばれてから、更に半分くらいの生徒達の紹介がありましたが、やはり息子の順番がハイライトで、その後は僕達の気持ちは平静を取り戻した感じでした。息子と同じく日本から3年間を過ごした女の子のときには大声で祝福しました。
息子の順番が終わると「大切な用事がある」とウィリアムは帰宅し、エイブリーと共に最後まで見届けました。
息子の順番が終わってから少し経過した頃、前日に挨拶をしていたドノバンが会場で僕を探してくれて、席まで挨拶に来てくれました。数週間前に息子が所属するサッカーチームが新聞に紹介されていたのですが、その記事が載った新聞をわざわざ手渡しでプレゼントしてくれて、握手を求めてくれて「おめでとう」「ありがとう」と短いやり取りをし、彼は去っていきました。
■エンディング
その瞬間は突然訪れました。
全員の紹介が終わり、MCが話し始めてほどなく、何の前触れもなく「帽子投げ」が行われました。エイブリーすらも写真は間に合わず、妻や妹たちも間に合わず、少し遅れたけれど準備していた僕だけがほんの少しだけシャッターを押すことができました。
思い描いてきた卒業式がそこに詰まっていて、なんとも現実のものではないような、フワフワした感じで、それでいて感動的で、現在進行形で式が進んでいるのだけれど、過去に想いを馳せたり、未来の可能性(カナダの大学に進学します)に想いを馳せたりで、落ち着いているようで僕の頭の中はあっち行ったりこっち行ったりでした。
■閉式後
妻、娘達、エイブリーと会場を出て、息子が出てくるのを待っていました。エイブリーは「渡したいものがある」と言って車にプレゼントを取りに行ってくれて、その間に息子が出てきました。後輩などと写真を撮ったりしながら、式の余韻を楽しみ、エイブリーとハグ、直接卒業のお祝いの言葉をもらっていました。
■思えば
小学3年生の時、初めて息子は超短期の留学に挑戦しました。
小学5年生のときにはヴァーノンを訪問する機会があり、そのことがきっかけでヴァーノン教育委員会にお世話になりました。
初めての留学からちょうど10年の時間を経て、このような瞬間を迎えられるとは、あの時には想像もしていませんでした。
今思えば、小3での経験、小5での経験、中3で「カナダに行くのをやめる」と言い出した経験、「やっぱり行きたい」と自分自身で決断した経験、山あり谷ありの経験、自信を無くした経験、人々に助けられた経験、ありとあらゆることが今の瞬間のために必要だったのだと感じます。
どれ一つ欠けてもだめだったのだと思います。
たった1つの失敗をよしとしない傾向が日本にはあると思います。しかしカナダでは挑戦して、失敗したら、挑戦を称賛してくれる文化があります。そして次の挑戦では成功できると背中を押してくれます。この国の人々の姿勢が子供達の人生に向けての自信や成長を育んでくれたと感謝の気持ちでいっぱいになり、そして送り出してあげられた親としての3年前の自分を少し褒めてあげられる瞬間にもなりました。
現時点でちょうど50年の人生、親となって18年の人生の中でも最大級の思い出となった卒業式、子供達に教えられることが多いことを改めて感じました。
「可愛い子には旅をさせ」
心底そう思います。
留学に限ったことではありません。でも子が輝く瞬間は親が敷いたレールではなく、自分で選んだ道なんだろうと強く思います。親ができることは「自分で考え、自分で選び、自分で決める力を授けること」なのかもしれないと思います。
素晴らしい時間をありがとう。
そして遠く離れた土地で息子と関わってくれた全ての人々、カナダという国、ヴァーノンという町、本当にありがとう。