- 2020.11.19
- スタッフ留学日記
私のカナダ留学〜ゲルフ大学ESL〜
こんにちは!アチーブメントサポーターのTatsuyaです。今日は私が今から4年前に通っていた、カナダはオンタリオ州にあります University of Guelph(ゲルフ大学) について色々と綴っていきたいと思います。概要というよりは個人的な見解や感想、体験記がメインになりますので、大学の詳細を知りたい方はまずは「学校を探す」のところへどうぞ!
【都市・学校を決めた理由】
私がゲルフ大学を選んだ理由は比較的シンプルでした。めちゃくちゃ都会といった環境があまり好きではない私は、まずは“都会に近い田舎”という条件でエリアを絞り始めました。留学中は語学の学習はもちろん、学校以外でもやってみたいことがたくさんあったので、手軽に都会に出ていける距離にあったゲルフは場所的には最高でした。
そして何より決定打となったのは実際にゲルフ大学に通っていたことがある先輩の声でした。その先輩とは大学の留学生支援プログラムで知り合い、カナダ留学の相談にたくさん乗ってもらいました。当時はあまり日本人がいない環境で街も小さいながらに活気があると教えてくれたり、授業も面白くて半年だけでもすごく有意義な留学ができたという話を聞いたり、何よりその先輩が自分の目の前で流暢に英語を話してる姿がすごく格好良くて、「ゲルフ大学に行けばこんなふうに話せるようになるのか」と思いすごく魅力を感じたのを覚えています。
【受講プログラムの概要】
私が受講したプログラムはEnglish Language Certificate Program(通称:ELCP)と呼ばれるプログラムでした。ゲルフ大学に入学したいけれど、まだ入学するには英語力が足りない学生向けに用意されている、いわゆる大学付属の語学プログラムです。なので英語で正規授業を受けるのではなく英語を勉強するためのプログラムを英語で受けていたということになります。
ゲルフ大学のELCPの授業は7週間で1タームが構成されています。レベルが1から10まで用意されており、7週間で1レベルが終わります。科目はReading, Writing, Listening, Speaking, Grammarの主要語科目でそれぞれが週に5時間、合計で週25時間用意されています。1クラスあたり10人前後の少人数で、大学の正規の時間割と同様の時間割で授業がなされる上に、教室も正規の学生と同じように色々な建物に振り分けられているので、実際にゲルフ大学の学生と同じような生活で学生生活を送ることができます。
【先生の印象・感想】
先生はみんな英語教育の大ベテランですごくためになりました。とてつもなく厳しい先生もいれば、友達のような距離感の先生もいて、私はその違いを楽しんでいました。厳しい先生もただただ厳しいのではなく、しっかりと英語ができるようになるためには必要な努力はきちんとしなさいという愛ゆえの厳しさだったので、私は大好きでした。たまに訳のわからない先生もいました。教科書を読めば書いてあるような内容の授業を適当にやり、日本でもできるような課題を課してきた先生にはひどく腹が立ちました。この時私は「このままでは絶対にいけない」とクラスメイトたちと結託して抗議運動をしました。「こんな授業を受けるためにはるばるカナダにきたんじゃない」「高い学費を出しているのだからもっとちゃんとこういう風に授業をやってほしい」と強く訴えました。色々ありましたが、最終的に授業の内容も変わり、結果としては良い学びを得ることができました。
今でこそ笑い話としてこんなことが書けますが、当時は本当にバッチバチで教室内は殺伐としていました。まぁでも実際その時のことを振り返って「英語であんなにドンパチできるようになったか」と自信を感じたシーンでもありました。最終的にその先生とは和解したので今では良い思い出です。
この写真の先生はドンパチをした相手ではなく僕が大好きだった先生です。
【出会った友達・エピソード等】
ゲルフ大学で出会った友達とは今でも定期的に連絡をとっています。初めて入ったクラスにいたコロンビア人の男の子や、レベル10の時に共に苦しい課題を乗り越えたカザフスタン人の女の子、中国人のクラスメイトたちとは特に仲が良かったです。先日ゲルフに出張で行った際もその中の数人の友人と一緒に食事に行きました。これからもずっとつながっていたいと思える大切な仲間たちです。
特にカザフスタンの友人とはいろんな話をしました。レベル10の時クラスに15人ほどいたクラスメイトのうち、日本人の私一人とカザフスタン人の彼女を除いて残りの全員が中国人でした。中国人の彼らは集まるとすぐに母国語で話すので、私たち二人はクラスのマジョリティが何を言っているのかわからないという状況がよくありました。なので“中国語がわからないもの同士”として仲良くやっていました。決して中国人のグループとうまくやっていなかったわけではありません。彼らともうまくやっていましたが、悩みを相談したり近況を憂いたりする時の心の拠り所となっていました。
先述したように、レベル10の時はクラスに日本人が私一人しかいなかったので、全く日本語を話さない日というのが何週間も続きました。この時は頻繁に夢も英語で見るようになり、徐々に脳みそが英語脳になって行くのを感じていました。
【今回のまとめ】
ここまで読んでいただいた方は、比較的に私が真面目に大学を選び、現地での生活も真面目に楽しんでいたことをお感じになってくださったかもしれません。次回ではもう少しラフに私がゲルフでどんな経験をしたかをご紹介します!
【ゲルフ大学に興味を持たれたら】
私の母校であるゲルフ大学に興味を持って頂きましたら、ぜひお気軽にお問合せ下さいませ。いい事だけでなく、悪いことも含めて精一杯のご紹介をさせて頂きます。お問合せの方法は以下から。
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