- 2020.08.06
- 学校訪問記
East Coast Language College(ECLC)~カナダ留学訪問記#16-1
こんにちは。
ピュアカナダ留学センター代表の小谷順士(こたにじゅんじ)です。
弊社の哲学、「ご紹介する全ての学校を訪問する」という点について、20年以上前から続く学校訪問の中でも、印象に残っている学校をピックアップしてご紹介していきたいと思います。
・日本人が少ない環境で英語力を伸ばしたい方(一般英語コース)
・自立した生活で自分を成長させたい方
・いわゆる白人社会に身を置いて自分を試したい方
・ビジネス英語コースで自分を磨きたい方(ビジネス英語)
・子供に英語を教えたい&教える経験がしたい方(児童英語教師育成コース)
に最適な語学学校がEast Coast Language College(ECLC)です。
「ノバスコシア州」と「ハリファックス」
そもそも読者の皆様は「ノバスコシア州」を、そして「ハリファックス 」という町のことをご存知でしょうか?これまでにこの街で留学を実現された多くの方が惚れ込んだ魅力的な町で、長年一緒に仕事を続けてきたのがECLCです。
ハリファックスは大西洋に面した州で、アトランティックカナダ(ノバスコシア州・ニューブランズウィック州・プリンスエドワード島州・ニューファンドランド州の4つの州の総称)の中で最大の町となっています。
大西洋に面し、空からの景色も実に美しいハリファックスは、北海道の函館と姉妹都市となっています。そのシンボルがシタデルと呼ばれる五星の形をした要塞。イギリス軍がフランス軍に対して築いた壮大かつ伝統のある要塞跡です。
個人的には、23歳の頃にバンクーバーからプリンスエドワード島まで車を運転した人生最大の旅で訪れることができなかったカナダの東の果ての町になります。
美しいハリファックスの町
ECLCとの出会い
前述の通り、僕がピュアカナダ留学センターを創業した時点(1999年)でノバスコシア州には足を踏み入れたことがありませんでした。しかしカナダ専門を歌う上で絶対に外すことができないエリアだという自覚を持っていましたし、ぜひとも行きたいと思っていた町がハリファックスでした。
そこでインターネットで語学学校を探してみると、そこで出会ったのが当時のEast Coast School of Language(ECSL)でした。(その後、East Coast Language College(ECLC)に学校名変更)
初めて訪問した2002年当時、ハリファックスにあった語学学校は2校だけだったと記憶しています。1校は最も有名だったのがInternational Language Institute(ILI)(残念ながら現在は閉校)。そしてもう一校がECLCです。
メールで連絡を取ってみると、クリスティン(Christine)さんという方がご返事を下さいました。「あなたの学校に興味があるからぜひ訪問させてほしい」というと、「もちろん、喜んでお待ちしています」の返事。つまり、ECLCとの出会いは、インターネットで僕が探し当てたことが最初ということになります!
ECLCの授業風景。しかし学校にたどり着くまでに試練が・・・
いよいよ訪問、でもその前に事件が・・・
まだ創業して3年、お金はありませんから、出張はもっぱらユースホステル滞在です。
僕が訪問したのは2002年3月、まだまだ氷点下の寒い日のこと。
日本からバンクーバー、トロントと乗り継いでハリファックスに到着する予定時刻は0時を超えてしまいます。そのため、ユースホステルに「僕の到着は夜中になるが大丈夫だろうか?空港に夜中0時を過ぎてに到着したらそこからタクシーで向かいます」とメールで伝え、OKをもらっていました。
予定通りに僕がハリファックスに0時を過ぎて到着し、タクシーでユースホステルに到着した頃にはもう1時半をまわっていたと記憶しています。ユースホステルの目の前で降りドアの前に立つと「ドアが閉まって」います。。。最も恐れていたことでした。
それでも、ここで諦めるわけにはいかないので「ドンドン」とドアを叩くと、中から女性が現れてくれましたので「予約をしていたJunji Kotaniです。遅くなることも伝えていました」とその彼女に伝え、中に入れてもらいました。
彼女は「確認してくるからここで待ってて」と言って、中に入っていきました。事前に遅くなることは伝えていたし、OKももらっているから大丈夫だろうと思っていました。しばらく待ったところで女性が戻ってきて、僕に言いました。
「あなたをここに泊まらせるわけにはいかないわ・・・」
僕は頭が真っ白になりました。
改めて、遅くなることが分かっていたから事前に確認してOKをもらっていた点を伝えました。しかし彼女の答えは「その返事をした人間が今日は不在で、確認が取れないため、あなたを泊めることができない。10時以降の到着は基本的に認めないというのがルールなの・・・」の一点張り。
ここで諦めるわけにはいかない僕は、何度も何度も粘りました。この女性は僕が困っていることも分かっていたし、彼女自身がとても冷たいことを言っていることも分かっていたのでしょう。でも若い女性だったので責任を取れなかったんでしょうね。。。彼女が折れることはありませんでした。。。
つまり2002年3月の夜中2時半頃、僕は日本から到着まもなく寒い夜道に放り出されることになりました。
暗闇のイメージ(その日は余裕がなく、1枚も写真を撮っていませんでした)
放り出されたが、そういう時こそ諦めなければ学びのチャンス
あなたが僕と同じ状況で初めての土地で真夜中に放り出されたら、どういう行動をとるでしょうか?
ユースホステルから追い出された僕は、一瞬途方に暮れました。しかしそのまま野宿ができるような寒さではありません。雪が積もり道路は凍っていました。ふと頭をよぎったのはホテルです。とは言え、お金に余裕がない僕はすぐにホテルという選択肢を消しました。
そこで考えたのが「よし、警察だったら24時間開いてるだろう」でした。当時はGoogle Mapなどは存在していませんので、歩いて探すしかありませんでした(夜中2時半ですので尋ねる人もいませんし)
警察を見つけるまでに30分ほど歩きまわりましたが、なんとか運よく見つけることができ、事情を話しアドバイスをもらおうとしました。すると警察官は興味深いことを教えてくれました。
「浮浪者や家を持たない人達が泊まる場所がある。そこに行けば家の扉が開いているだろう。開いていたらそこに入り、温かい中で眠れると思う。勝手に入っていいと思う」とアドバイスをくれました。
地図をもらい真っ暗な夜道を歩いてそこまで行き「ここで間違いないよな?」という建物になんとか辿り着きました。今思っても不思議なのですが、特に建物に看板などもなかったように記憶しているのですが、疑いもなく確信に近いものを持っていました。(必死過ぎて建物の写真を撮っていなかったのは痛恨のミスです笑)
玄関を開けようとしましたが玄関は開きません。しかし窓があったので開けてみると警察官の言う通り見事に開きました。窓を開けて荷物を中に入れ、外の寒さと中の温かさを両方同時に感じました。疲れ果てていたこともありましたが、窓を入って僅か2メートルくらいの地べたに寝転がり「ふ~~~~~~~、やっとたどり着けた、これで眠れる・・・・」と安堵し、そのまま泥のように沈んでいきました。
警察が紹介してくれた施設とは言え、「浮浪者や家を持たない人が滞在する建物」ということに少なからず警戒心を持っていたのかもしれません。また神経が敏感になっていたのかもしれません。真夜中に到着してから僅か数時間の眠りの後、スーツに着替えてから、他の人と一切接触することなく朝6時半くらいにはその建物を出ました。
今思えば普通の経験ではありませんでしたが、追い出された事実を受け止め、疲れている中で諦めずに冷静に頭を回転させたことと実際に動けたことは、今の僕を形成する自信につながったと思います。
誰にも推奨できる経験ではありませんが、「ピンチにこそ成長のチャンスが隠れている」というのは間違いないと思います。この経験は間違いなく僕にとっての財産となりました。
まだECLCに辿り着いてすらいませんが・・・
ハリファックスという町をこのエピソードだけで判断しないでくださいね。とても珍しい貴重な経験ができたと、今では心から感謝しています。
この後に出会うことになるECLCの素敵なスタッフさん達のお陰で数多くの日本人留学生が本当に素晴らしい留学ライフを経験し成長されてきています!
来週の#13-2ではいよいよECLCを訪問させて頂きます!
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