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Ryoko

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ピュアカナダ留学センターの仲間Ryokoの紹介ページです!いつも明るく、何事もポジティブに捉え、周りを元気にしてくれるRyoko。そんな彼女の太陽のような明るさに日本オフィスのスタッフもいつも元気をもらっています。Ryokoは皆様と笑い、感動し、時には一緒に泣き、気持ちを共感してくれるスタッフです。彼女との出会いは、弊社と提携する語学学校のスタッフとしてでした。彼女の「お客様の立場にたったサービス」から素晴らしい人柄に惚れ、お誘いし、仲間になってくれました。 現在はピュアカナダ留学センターの仲間として留学される皆様に「Ryokoさんがいてくれたおかげで素晴らしい留学ができた」と大変お喜びいただいております。ぜひ皆さまにもRyokoの心溢れる現地サポートを通して素晴らしい留学を実現してください

(1) 私がカナダにくるきっかけとなった1回目の留学

私がバンクーバーに初めてきたのは大学3年生の夏休み。大学の英米文学科として在籍していた私は、高校の時からなんとなく留学して海外を見てみたいとは思っていたのですが、大学3年になっても海外にも行ったことなかった私は、この時に初めて1か月の夏の短期留学を決め、バンクーバーにやって来ました。その時に出会ったホームスティの家族が素晴らしい家族で、その家族の人柄とバンクーバーの自然の美、ホストの人柄、カナダ人全体の人のよさ、日本にはないリラックスしたカナダの雰囲気に一目ぼれ!この時に絶対長期留学をしよう!と心に決めたのです。


1回目の留学

(2) 1年半の長期留学


私は一度目の短期留学をしてから、長期留学を目指して貯金をすることを決意し、大学の夏や春休みは泊まり込みのリゾートでずっとバイトをしてお金を貯めていました。大学卒業後に、今のソフトバンクのカスタマーサービスでバイリンガルオペレーターとして働き、1年半ほどで大学の時にためていたお金も合わせて留学資金を300万円ほどため、長期留学でバンクーバーにやってきました。滞在先は以前のホストがシェアハウスをしていたのでそこにお世話になりながら6か月の語学留学と8か月のビジネススクールでのBusiness Administrationというディプロマコースを受講しました。この留学時期に、現在の旦那さんと出会ってます。


私の留学していた時もすでにワーキングホリデーがありました。ワーキングホリデーで来ていたほとんどの留学生は語学学校を3か月未満の設定にし、仕事を探して1年のワーホリ留学に来ていました。私が良かったと思ったのは、きちんと納得がいくまでの語学留学をしたこと。6か月長期の語学学校を設定していたおかげで、あせることなく徹底的に英語に集中して学校に行けたことは私の中ではすごくいい選択でした。


やはり、語学というのは3か月でどうにかなるものではなりません。この6か月の語学研修の中で今だに付き合いが続く友人も出来ましたし、かけがえのない留学経験ができたのはこの語学学校での経験だったと思います。他の留学生はまだ英語力が伸びていない状態で学校を辞めて、ほとんど英語が話せない状態で日本のレストランなどで仕事を探している子も多くいました。そういった留学生は結局その後もほとんど英語が伸びないまま日本に帰国していましたが、私は本当に思いっきり英語を伸ばすこと、話す英語を勉強することに集中できたのは幸運でした。

一番上のレベルの英語のクラスになった時、毎日トピックをくじで引いて、1分から3分のスピーチをしなければならないクラスがありました。その時に「どうやって話す順序を頭の中で組み立てて、論理的に話せばならないか」という訓練を学べたことは今でも記憶に残っています。また、パブリックスピーキングの技術も学べたのもありがたいことでした。


その後8か月のDiplomaプログラムをビジネス学校で取得しました。やはりビジネス学校は英語を学ぶところではなく、資格を取る場所です。ここでももちろんカナダ人と混じって授業に参加していましたが、学ぶものの対象が違ったのでここで英語をすごく学んだ!という感覚はありません。ここでは、数学から始まり、ビジネス、ビジネス学、ビジネス英語、経理、Microsoftのプログラム全般、英語での履歴書、面接などの準備などを学びました。これらの資格が役立って、日本に帰ってすぐの就職へつながりました。



(3) 日本での就職

カナダにはとどまりたいとは思いましたが、カナダの資格を生かして日本でも就職をきちんとして働きたい、と思っていましたので日本に帰って4年近く外資系のコンピューターソフト会社の総務と秘書をして働いていました。1年半のバンクーバーの留学を経て、自分はものすごく英語が出来るようになっていたことは、外資系の仕事をしていてもものすごく明らかでした。よくアメリカ本社からの技術系の人が来日して講習会を行っていましたし、日本やアジアのHQはシンガポールでしたので、アメリカやその他の国からの来客も多く、英語は常に使っている状態でした。

(4) カナダ移住と語学学校スタッフとしての約10年間

バンクーバーでお付き合いを続けていた彼と遠距離恋愛を続けて、3年ちょっと経った頃に結婚することが決まり、カナダに移住することになりました。こちらに来て、語学学校での受付と総務のポジションがある、と紹介され面接に行き、幸運にもすぐに採用され働き始めました。

その間約10年間、同じ語学学校で受付(総務)-日本人カウンセラー  ―マーケティング担当-アドミッション責任者といういろいろな経歴を担当しました。その時に現在のピュアカナダの小谷と出会い、繋がることになります。学校スタッフとして留学代理店のピュアカナダと知り合いましたが、ピュアカナダのスタッフはこの学校で働いていた間、人間して付き合っていきたいと思えた唯一の留学代理店だったのを覚えています。

(5) ピュアカナダでの就職

働いていた語学学校が閉鎖になることが決まり、その間は子供も小さかったので子育てに専念していました。10年経って急に小谷から連絡があり、現地サポートのスタッフを探しているから是非来てほしいとのオファーを頂きました。業界を離れて久しぶりの留学サポート業務でしたが、学校時代に出会った生徒さんとのやり取りやふれあいから学んだ喜び、生徒さんをサポートした間の大きな達成感、やりがいといったものは私の生涯の天職だと思っていましたので、ピュアカナダで私の長年のカナダ生活や経験を生かして生徒さんをサポート出来るなら!と思い、ピュアカナダの一員になることを決意しました。私が留学代理店を使ったのは、1年半の長期留学した時でしたが、その時ピュアカナダのようにきちんとサポートをしてくれる留学代理店だったらどんなによかっただろうと思うことがあります。大手の留学代理店でしたが、留学前に一度ガイダンスカウンセリングを行って頂いてお会いし、学校を紹介してもらっただけで、その後コンタクトをとることはありませんでした。ピュアカナダのように、本当に親身に生徒さんのお世話をして、生徒さんの幸せを願ってそれを信念に働いているという留学代理店は珍しいと思います。ピュアカナダが生徒さんのつながりやご縁をものすごく大切にしているように、私も生徒さんとのご縁を大切にしたいと思っています。これから皆さんのお役にたてるよう出来るだけのサポートをしていきたいと思いますのでどうぞ気軽に声をかけてくださいね。

(6) これから留学をされる方々へ

大学3年生の時に1か月カナダ留学をした時に、まさか自分が将来カナダで住むことになるとは思っていませんでしたが、私があの時の自分に言えることは、「よくぞカナダに留学を決めた!」ということです。私の人生を決めた決定的な瞬間があの大学3年時の短期留学だったんです!自分でお金を貯めて留学したことで、お金のありがたみもわかりましたし、留学で過ごす時間を本当に有益に、真剣に過ごせた成功した留学になったと思います。

カナダに長年生活して思ったことは、カナダ人は本当に親切で色々な場所で助けてくれることが多いということです。海外にいて、これといった差別をされたこともなく、日本人としても誇りももって生きていけるというのがカナダという国です。それぞれ違った文化や背景を持つ人が沢山生活するなか、それぞれの人や文化、国や性別、年齢関係なく、すべてを尊重して生きていける国というのは素晴らしい場所だと思います。伸び伸びと大自然に囲まれて、人のやさしさや良さに触れて感動できるのもカナダの良さだと思います。

留学は英語が話せるようになるというだけのものではありません。良いことだらけが起きるものでもありません。皆失敗をしたり、転んだり、いろんな経験をして成長していくものです。困ったときはHELP!と助けを求めて下さい。その時に私が皆さんのお力になれればいいな、と思っていますし皆さんの役に立つアドバイスが出来ればいいな、と思っています。

こんな素敵が沢山つまったカナダで、皆さんが人生でかけがえのない出会いと素晴らしい体験をして頂けるようお手伝いが出来れば光栄です。皆さんの成功する留学をお手伝いできるピュアカナダバンクーバーでお待ちしておりますね!



スタッフ紹介

ピュアカナダのスタッフとして“皆様の留学”と“その先の人生”を応援させていただく愛に溢れる弊社自慢のスタッフ。
そして過去に一員として活躍してくれていたメンバーをご紹介します。

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